抱擁

近親者の死を受け止め、苦しみやがて成長すること、いつの時代にも変わらないこの生命の営みが、時として心の痛みとしてのしかかってきます。

娘との死別から数年間悲しみを抱え続け、夫の終焉を予感したときそんな主人公の心の痛みは、大きな苦しみとなり、病となってしまったのでしょう。 一番身近な息子に罵声を浴びせても、その苦しみから解放はされません、それ知りつつも、受け止めながらじっと話を聞く息子も、やはりつらく苦しいことだったでしょう。そして主人公は最愛の夫を失います。

悲嘆に苦しむすちえさんが求めたのは、妹のまり子さんでした。時に叱り、時に笑い飛ばしながら、しっかりと寄り添い続けます。 苦しむ人の近くに誰かがいることの大切さと、まり子さんのように誰かのためになれる逞しさも重要でしょう、そして監督のように周囲でそれを見守り続ける苦しさもあるでしょう。人は一人では生きてゆけない。あらためてそう教えられた思いです。つらく悲しいものばかりではなく、その後の主人公の力強い再生の様子も想像できるもの、映画は愛と逞しさにあふれるものでした。

現代社会で「終活」は、自らの心の健康と周囲への愛からなりえるものであり、超高齢化社会に誕生したひとつの生きる知恵だと考えております。 しかしながらそうやって取り組みをしても、近親者の死は大きな苦しみであることに変わりはなく、葬儀をはじめ、ライフエンディングに関わる全ての方が、近親者死別による心の痛み『悲嘆(グリーフ)』にどう寄り添えるかが重要とも言われています。 自分は何ができるかではなく、理解をすることこそ重要なのです。愛と逞しさに溢れる映画「抱擁」を、真実を垣間見る機会として、多くの方にごらんいただきたいと思いから、コメントを寄せさせていただきました。