もちろん、待っているだけでその経験があるわけでもなく、自らが働きかけてたくさんの経験を求めていた結果なのですが、求めても何も経験できない場所もあるのではないかと思えば、こんなに恵まれた環境はなかったのではないかと思います。
全ては感謝から始めようということになります。

当然バランスは取れているもので、この会社の退社退任は大抵の役職者がもめていたりするのを沢山見ていましたからから、まあ順番になんだよという方もいるほどなのですが、私の場合といえば、やはり起因はコロナによるところが大きかったのだろうと思います。

おそらくは当事者たちもそんなふうに感じていないかも知れませんが、所詮は葬儀担当者です。普段は誰かの役に立つことしか考えていないのです。
ところがこの先、アフターコロナを考えたときに、誰もが想像もつかかない世界に踏み込むのですから、意見の食い違いも仕方ないだろうということになります。

一方では経営的な理由のように考えていたのかもしれませんが、それもこれも含めて儀式サービス提供者のような人の精神的な枠を超えてしまったのだろうと納得をして退くことに決定しました。

さて、これからすべきことは何かを考えると想像もつかないままに、私には何ができるだろうか、そんなことを数日考えていたのですが、これが間違いだと今日気が付きました。世の中が何を求めているのだろうかというところが重要で、それに対して私は何ができるだろうかというように考え方を改めます。


今日、20年もお付き合いをした方にお会いしました。20年前お爺様の事前相談をされるお母さんと一緒に付き添われた20代の青年、青年にしたらおじいさんの葬儀です。その初対面から20年後、その時に私とお話をされたお母様を見送られた彼と、今日しばし時間を過ごしたのです。

彼にとってのお爺様、お父様、叔父様、そして今回のお母様と4回のご葬儀に立ち会いながらその全てに私の記憶と彼の記憶が見事にリンクして思い出話に花が咲きます。
やがては本来お話をしたこともないお爺様の様子が見えるように錯覚するほど談笑をしながら時間を過ごしました。

退社をするという挨拶をした私に、そんな予感がしたと言われました。と同時にどうでもいいから、何かあったらあなたに電話をするから、お願いしますねということば、これが実は社交辞令ではないのです。今までの20年いくつもの約束をして、そのいくつもが本当に頼られていたんだなとわかるようなことばかりでした。

20年のお付き合いの中で、全く別の方のお手伝いをさせていただいた方や、私が尊敬する方まで、色々なところでこのお家の方に繋がっていたこともわかり、なんだか不思議な気持ちと、ご葬儀という仕事での縁がいくつもの方の人生に触れてりることを改めて実感するのです。

ああ私はどんなに素晴らしい仕事につくことができたのだろうかという、お天道様に向けた感謝です。

一方で、ご葬儀という仕事を目指してくる若者たちがいますが、 彼らはどうやってこの仕事を覚えて行くのだろうというくらいに、コロナ禍は小さな小さな家族葬を拗らしたように、葬儀を学ぶ機会すら失ってしまいました。
その先に本当にお別れをしたいことができる時代に、葬儀をしたいという欲求をきちんと満たすことができる担当者は育成できるのだろうかという心配まで生まれます。

さて、今日お会いした方、彼の叔父さんの御葬儀は散骨が故人の希望、叔父様の遺骨供養については船を選びそこまでご案内して、その船にご一緒させていただいたのも記憶に新しいですが、選んだ理由は本人が言ってたことだからと言われていました。
ところが今になって遺族としては何も残らなかったのがなんともいえなく、気持ちの区切りがつかなくてね、命日も気がつかないで終わっちゃったりするんですよと言われる。

教育と、遺族の心の問題解決こそ葬儀の力とばかりに、暫しはこれも私の役割だと考えていたのですが、今この仕事を離れることが決まった以上は、こうした社会変化、文化の変化をきちんと捉えて、なんらかの形でどこかで誰かの役に立ちたいと思います。

もやもやと、夢の中のようにこの日を想定していた数日を考えると、なんとも清々しいことか、もちろんこの先の不安はあるのですが、はっきりと人に伝えることができただけでも嬉しいのです。

少しづつ、仕事の移譲をしながらやがて来る日を想定して、私のやるべきことを見つけて行こうと考えています。