家族揃ってのお墓参りはもう何年もやっていない……現代ではそんな方も多いかもしれません。
日本では高度経済成長をきっかけにふるさとを離れて都市部に家を構える核家族が増え、50年を経過した以降、そうしたトレンドを背景にお墓に対する一般常識がすっかり変わりました。
「墓じまい」の特集はメディアで頻繁に組まれ、お墓に関して簡素化が一種のブームになっています。
そこで、今回は、2022年8月29日に主婦の友社より『幸せな人生のしまい方』を刊行した株式会社ニチリョクより、終活から葬儀、お墓や納骨堂などのスペシャリストである尾上正幸氏をお招きし、変わりゆく日本人のお墓事情について生々しく語ってもらいました。
霊園や納骨堂などの開発販売に携わる当社から見て近年、ふるさとのお墓を片付けて都市部にお墓を引っ越したり、納骨堂にお骨を移したりといったご相談はどんどん増えています。一言で墓じまいといっても、何代にもわたり継承されるようにとしっかりと石でこしらえられたものですので、重機などを用いて、慎重に丁寧に取り扱いながら解体をします。
手続きも複雑で、供養までもご僧侶に取りおこなってもらわないといけない、なかなか大変であり専門業者がお役に立つことになるのですが、数年前では月に1回くらいの墓じまいの仕事が、近年には月5回ぐらい墓じまいが入り忙しくしているということも聞いたりします。
かつてお墓とは家族で継いでいくもの、というのが日本の常識になっていたと思いますが、都市部に移って住宅を構えた家族からすると、地方のお墓にお参りしたり、メンテナンスを兼ねて帰ったりするのはお金ばかりでもなく、なかなか家族の時間が合わないなどの問題もあります。
そもそもお墓を守る故郷にはすでに親族も住まなくなっていたりして、そうするとその土地のお墓を自分たち世代が守り抜いてゆけるのかどうか、という不安も浮かんできます。
そうした流れで墓じまいの判断に至るのは自然な流れなのかもしれません。墓じまいは「改葬」とも言われ、最近は終活のひとつとして、次世代に心配を残さない先祖供養を考える方がたくさんいらっしゃいます。
こうして、墓じまいにより行き場を失った遺骨はどこにゆくのか。
首都圏でのお墓探しの傾向では、猛烈な勢いで樹木葬が人気になっております。樹木葬の先行したイメージでは、樹木の下に眠る永代供養を約束したものが多いですが、その他、霊園や墓地内での一定エリアでスペースが区画されているパターンまで色々あります。
お墓の選択が「家なのか個人なのか」という前提になり、家のお墓を受け継いでいく、という考え方自体が変わってきているようです。
ただ、2022年に当社が行った最新の生活者アンケート調査によりますと、実際は従来のようなしっかりとした墓石の、親しみのあるお墓のカタチも求められていることがわかりました。
さらにアンケート調査では、墓じまい後のお骨の行き先はと言うと、実は一番人気が都市部の納骨堂というデータも明らかになっています。世代継承やお墓のメンテナンス、お墓参りの頻度などで悩んだ末に墓じまいをされた方の回答です。
納骨堂はどうでしょう。納骨堂と言うと従来、一時預かり場所というイメージでした。しかし近年の納骨堂は、令和時代に合ったお墓のカタチとして、「室内のお墓」「我が家のお墓」として、認知が進んでいるようです。
当社が取り扱う郊外型霊園内でもいわゆる「我が家のお墓」を買い求められる方が沢山いらっしゃいます。
お伺いすると、実際にお墓参りをして手を合わせ、故人を偲んでいる場を想像したときに、やはり海洋散骨や合祀墓といった供養を選ぶ気にはなかなかなれない、と言うことのようです。
その昔のお墓は、場所を選んでその上で石材を選ぶと言った形が多く、国内産の石材のブランドがもてはやされたこともあります。現代ではいわゆる多様性の中であらゆるデザインを施したりしながら、すでに場所と形が整ったうえで、その場に立って将来にわたる供養の姿を想像しながら購入するようになっています。
つまりいわゆる建売住宅の様なお墓の求められ方が多くなっており、そんな中でお墓に刻まれる「○○家ノ墓」といった墓石の表記ではなく、故人の好きだった言葉やメッセージが彫られるケースも多くなっています。「ありがとう」「誠」……といった具合ですね。
さらに、ペットと一緒に眠れるお墓も人気です。当社の扱う霊園でもペットと一緒に眠れるお墓は現在完売状態で、新たな開発を考えているところです。伝統や慣習を意識しつつも、より故人や家族の「その人らしい、我が家らしい」を、お墓によって表現しようという傾向が出てきています。
話を納骨堂に戻します。墓じまい後の選択肢として、納骨堂は最も人気です。
墓じまいの前提条件として、お骨の引越し先を決めておかなければなりません。納骨堂であれば、今までのお墓参りの苦労を考えると、気軽にいつでも出かけられる場所を選ぶことができ、雨風や寒暖に影響されない快適なお墓参りが約束されるわけですから、その人気の理由も理解できます。
ただし、一口に納骨堂といっても、購入のためには学んでおくことも必要です。
先日、地方都市での納骨堂経営破たんニュースが報じられました。
もちろんすでに納骨堂にお骨を納めている家族が沢山いますから、お骨の問題とお金の問題で目下、大紛糾のさなかのようです。
なぜ、そんな事態が生じたのか。
この問題を読むにあたり、納骨堂運営の大きな2パターンを説明しなければなりません。
もともと多くの納骨堂は、当社のような会社がお寺と協力して開発するのですが、お墓、納骨堂の運営は宗教法人のみ運営を認可されるものです。私どもの役割としては開発と販売のお手伝いということになります。どんなお墓が人気で、どんな形で運営をということで、ある意味お寺様のコンサルとしてもお手伝いをすることになります。
当社のような会社が開発するパターンでは、そもそも土地を持っており檀家制度も充実しているお寺に納骨堂運営を託します。ここでの開発・販売会社とお寺の協力体制はとても重要です。
一方、開発を前提として土地を買い、お寺様を誘致して行う納骨堂建設もあります。よい施設が作れる前提で宗教法人とタイアップをすることになるのですが、販売計画がかなり重要になります。今回のニュースの背景には、その販売計画に何らかの問題があったのかもしれません。
お墓も納骨堂も、ついつい金額に目を向けてしまいがちです。
ただ、料金が永代使用料なのか年数限定なのか、遺骨一柱なのか、代々利用できる家のお墓なのかで、当然その価値も大きく変わるのですが、実をいうとこの辺が意外とわからないまま金額で判断される方も少なくなくありません。
ご契約をされた後で使用制限に気が付いて後悔ということにならないように、終活学習の項目にぜひ「お墓」も入れてもらいたいものです。
以上、昨今のお墓事情について述べてきました。
そもそもお墓とはなんなのか。私の考えとしては、お墓とは亡き人と繋がれる場所であり、そこを遺族が訪ねていくことで得られるものがある。そのために存在していると考えています。
家督制度廃止から2世代、3世代が経過した昨今、お墓ばかりではなく、時代やライフスタイルと共に供養もさらに大きく変化をしています。
故郷の場所に固執するのではなく、その思いを大切にできることが重要。家族がお墓を訪ねて故人を偲び、生きている世代同士のコミュニケーションを図っていけるのであれば、ぜひ改葬して都市部にお墓を移せば良いでしょう。
樹木葬、合祀墓、納骨堂、いずれの選択をされても本質的な違いはないと思います。
時代が変わってお墓を家で受け継げなくなったとしても、故人のお骨をなんらかの形で訪ねて新しい世代に思いや考えを受け継いでいく。そんな役割をお墓が担っていけば良いのではないかと思います。
超高齢社会を背景に、「終活」はますます注目を集めています。
しかし、現実には終活の言葉ばかりが一人歩きし、具体的に準備を進めている親世代は少ないのではないでしょうか。
一方、子世代としても「そろそろ準備をしてほしいが親には言いづらい」というのが本音かもしれません。
今回は、2022年8月29日に主婦の友社より『幸せな人生のしまい方』を刊行した株式会社ニチリョクより、親世代と子世代ともに数多くの終活をサポートしてきた尾上正幸氏をお招きし、終活について語ってもらいました。
私たちニチリョクのもとには、墓じまいや葬儀の準備、財産相続など様々な切り口でライフエンディングの相談がやってきます。
終活にまつわる親世代の考え方を紐解くため、ここは私たちが実施したアンケート調査を引用して説明しましょう。
まずは次のグラフを見てください。
これは終活について子どもに相談したいか親世代に聞いたアンケート。
なんと62.4%と、過半数の親たちは子どもに相談しながら就活終活を進めたいと思っている事実がわかります。
続いて、相談したいあるいはしたくない理由を聞いた調査結果が次のグラフです。
相談しながらやりたい理由としては、「後々迷惑をかけたくないから」が49.0%でトップ、「一緒にやった方が安心できるから」が22.0%で2位という結果になりました。
一方で相談しながらやりたくない理由は、「心配をかけたくないから」が19.0%でトップに。
注目したいのは、相談したい人も相談したくない人も、子どもを「心配」する気持ちが強く出ている点です。子を思う親心がうかがえますね。
このアンケート結果は、私が現場で見聞きする親世代の姿と一致します。
みなさん口では様々おっしゃいますが、共通しているのは、自分が亡くなった後に残る子世代への思いなのです。
続いて、親世代を送り出す子世代へのアンケート結果も見てみましょう。
次にあげたのは、親世代に対して終活の相談をしてほしい、あるいは生前してほしかったかどうかを問うアンケートの結果です。
ご覧いただくと、じつに75.8%が相談してほしい気持ちをもっています。
これは、親世代が「相談したい」と答えた割合より高いです。
やはりお墓にしろ財産にしろ親が亡くなって現実的に問題が降りかかってくるのは子世代ですから、親当人に比べてより切実さは高いのだといえます。
さて続いて、親が存命の子世代に、親の終活についての認知を聞いたデータです。
なんと、親が終活していることを知っていると答えた子世代は3足らず 。
ほとんどが親の終活について「知らない・わからない 」のです。
ほとんどの親が終活を子世代に相談したい、一方で子世代は相談してほしい。
その思いは一致しているのに、現実に終活が親子で話し合われている家庭はほとんどない。
なぜ、このようなすれ違いが生じてしまうのでしょうか。
私が親子世代ともに終活に関する相談を受けるなかで、双方から頻出するのが「話しづらい」という言葉です。
親からすると、死期が近づいてきたのを悟りつつも、自分の死後を具体的に口に出すのはどうしても抵抗があります。特に財産相続については「法律のことなんて全然わからなくて考えるのがおっくう」「現金な話を口にするのは品がなくて嫌だ」など抵抗感が強いようです。
最近ではエンディングノートなど本人の意向を書き残せるツールも出てきていますが、世間で騒がれるほどには実際に書き残しを作っている人が多くない印象です。
さて、じゃあ子どもの側から話せるかというと、ますます話しづらいのが当然の心情でしょう。
まだ存命の当人に対して「死んだ後」の話など憚られる、という子世代は非常に多いです。
不用意に話し出そうものなら親のほうが「早く死ねというのか!」と怒り出してしまうパターンもよく見られます。
かくして、親も子も気にかけていながら終活について家族で話し合われず、すれ違ったまま「その日」を迎えてしまうのです。
最後に、なかなか進まない終活の話し合いを親子で進めやすくなるヒントを紹介します。
まず一つは、エンディングノートや書籍といったツールを呼び水にして話を進めることでしょう。
「お父さん、この本すごく良かったから読んでみて」といったきっかけがあれば、書籍をちょうど良いハブとして、終活についての話を自然に切り出すことができます。
もう一つは、私たちのような第三者の活用です。
実際私たちも、葬儀や法事を執り行ったりお墓を設けさせていただいたりといった機会でご家族が集まられた際、司会進行するような形で終活に関する話し合いに立ち会う場合場面がよくあります。
私たちのようなライフエンディング業者相手であれば、直接的な終活の話も相談しやすいようです。
ご当人にとってもご家族にとっても、死はいつか必ず訪れます。
生前のすれ違いで後から後悔しないよう、終活について少しずつでも話し合いを進めてみてください。
安倍晋三元首相の国葬決定に端を発し、イギリスのエリザベス女王の国葬のニュースも重なったことで、にわかに「国葬」のキーワードが世間を賑わせています。
しかし、そもそも国葬とは何であって、どんな意義をもっているのでしょうか?
今回は2022年8月29日に主婦の友社より『幸せな人生のしまい方』を刊行した株式会社ニチリョクより、大規模葬儀を数多く仕切ってきた葬儀プロデューサーの尾上正幸氏をお招きし、国葬について語ってもらいました。
まず重要なポイントとして、国葬はみなさんが一般に想像する葬儀とは違います。
安倍晋三元首相にしても、故人ご本人の葬儀はご家族を中心に既に終えられているわけですからね。
国葬とは、故人の葬儀とは別に行われるオフィシャルかつセレモニー的意味合いの強い儀式。芸能人などの著名人が亡くなった際に葬儀と別に「お別れ会」が開かれる場合がありますが、それを国家が主催するイメージで、より広く多くの方がお別れできる機会です。
そういう意味では、話題になっている見積もり額の話は別として、イベント会社が仕切りに入るのは理にかなっています。ご遺体を荼毘(だび)に付すわけでもなく、お経すら読まれないかもしれないわけですから。要人に対するセキュリティとの両輪で運営されます。
「葬」と名前がついていても葬儀屋の領分ではありません。
今回の国葬というトピックについて非常に共通点を感じるのが、私が今まで数多く仕切ってきた「社葬」です。
企業の創業者や中興の祖が死亡した際に行われる社葬というと、みなさんイメージはつくのではないでしょうか。実は社葬とは日本独自の文化で、他の国では例が見られません。
さてこの社葬の意義としては、一番大きいのは故人の生前のご活躍に対する追悼の念と共に感謝と敬意を、社員から社内外に対して周知すること。さらに、事業の承継が起こってもその会社は新体制に則り、引き続き安定して継続していくのだとアピールする意味合いも大きいです。
どうでしょう。「社員」を「国民」に、「社内外」を「国内外」に、「会社」を「国家」に言い換えてみると、今回の国葬の意義と非常に重なる部分があると思われませんか?
実は前述のお別れ会というのも、社葬が変化した形ですが、ホテルで会食を伴うようなお別れ会は、より事業継承の目的が強く反映されていると言っていいでしょう。
今回は2つの国葬、英国エリザベス女王の国葬と日本を比較すると開催の意義は同じです。ただ、英国では感謝と敬意に多くの国民が心を寄せたようですが、日本政府として狙いたいのは、追悼の場所であるとともに安倍元首相が成し遂げた国家運営の舵取りの方向性や、諸外国との関係性を現政権以降に「引き継ぐ」効果でしょう。
さて、今回の国葬は実施の是非について今もなお議論が繰り広げられています。
私個人として国葬反対の立場は取っていませんが、参考までに一般的な社葬の決定プロセスを少し比べてみましょう。
社葬の場合、会社のオフィシャルな行事として認められるかどうかの目安として、税務上必要経費として承認してもらえるか、という点があります。
社葬の費用を経費にするためには、事前に社内で規約を定めておくことが重要で、それに基づいて規約の定めがない場合でも取締役会の承認を得ることが必要です。こうしたプロセスを経ずに故人が亡くなってから思いつきで実施を決めても、その費用が社葬の経費として認められるのかは微妙です。
翻って今回の国葬を考えると、閣議決定で一発、という形です。結局それが、税金使うことがどうなんだという国民の議論を呼ぶ結果になっています。やはり、社葬と国葬は似ていますね。
根本的な問題でいうと、どのような条件下で国葬の開催が決まるのか、国家として事前の明文化がなかったのは反省点なのかもしれません。とはいえ、誰もが安倍晋三元首相の急逝など想像できるはずもなく、事前に考えるというのがとても難しい問題だというのもわかります。
今回の国葬は、現政権にとって大きなチャンスでしょう。
何といっても、戦後最長の在任期間を務めた安倍元首相の功績や方針を岸田政権が引き継ぐ、と諸外国のVIPに向けて強くアピールできます。社葬を例にして言えば極端な話、政権の施政方針だってそこで語れてしまうわけです。
一方で、岸田政権にとっては緊張が強いられるときでもあります。特に主催者の挨拶は非常に大事。安倍元首相に対する弔意を伝えるだけでなく、国葬開催の主旨を的確に説明しなければいけません。
さらに、懸念されているセキュリティや参列者への配慮をはじめとする会の仕切りも注視されるところでしょう。
ただでさえ今回の国葬はその性質から、「安倍さんの功績は認めるけどそれを承継する岸田政権は認めない」というスタンスの関係者を生みやすくなっています。
国葬の開催にあたって失敗があれば批判は必至ですから、岸田政権としても試練のときだといえるでしょう。
最後に、大規模葬儀ならではのよもやま話をいくつか紹介します。
まず弔辞。気になっている人もいるかもしれません。
私が社葬でアドバイスをする場合、弔辞は通常、一番目が故人の外向きの活躍を深く知る人。たとえば、取引先の代表者などに読んでもらいます。
二番目は、故人の仕事上の活躍を知りながら、プライベートの面でも親交があった人です。故人の生前の人となりを伝える役割を担ってもらいます。
三番目に、故人の社内での活躍をよく知る人。企業であれば事業を取り仕切った番頭さんなどが弔辞を読みますが、今回であれば麻生副総理などが三番目の役割を担うのかもしれません。などと勝手に考えたりしています。
ほか、大規模葬儀はとにかく段取りが大掛かりです。2000人くらいが参列する大規模社葬の際は、海外からの主要なVIPにはすべてホテルから葬儀場までのハイヤーを用意したり、行列でお待たせしないようにスタッフにエスコートさせたりと非常に気を遣いました。
また、その会社の場合は「部署のお客さんは部署ごとに応対するように」と通達があったため、受付に各部署の責任者がずらりと並んでそれだけで100人を超えてしまったという、ちょっとした笑い話もありました。
私の経験上、葬儀は段取りが8割。主催側としては無事に開式すればほとんどやり切ったようなものです。
政府ももっか国葬の段取りに追われているタイミングでしょう。葬儀に関わる一人の人間として、つつがなく国葬が執り行われることを祈っています。
2017.4.11 日刊SPA インタビュー記事にインタビュー記事が掲載