若者は幻を見る。老人は夢を見る

聖書の中で見つけたこの言葉に含まれる意味とは何でしょうか?

 

テレビやメディアで見つけたモノを夢という頃の若い時は、それが憧れであり、手に掴めるかどうかはわからないままにつき進むエネルギーがあります。たとえその夢が適わないとしても、そこに向かって挑戦することこそ、後の人生に大きな意義があるのだと思います。ある意味本当慈自分らしいのかどうかもわからないままに、幻を追いかける幼い頃の夢と言えるでしょう。

 

そして老人となった時に見る夢は、それまでの経験から見えてくる夢なので、掴めそう。掴めるといった現実味を帯びてきます。その為にどんな知恵が必要なのか、誰の助けが必要なのかと言ったように周囲を巻き込む力も備えてこその、これまでを肯定した人生の夢と言えるでしょう。