おひとりさまの終活

記事は、ブログおはようございますからはじめようⅡから引用しております。

 

先日の日曜日に開催したエンディングノートセミナーの会場アンケートをいただきました。そのなかで気が付いたことを書かせていただきます。
お一人様の終活はどうしたらいいのか、もちろんすべきです。
家族を感じることの前に自分を振り返ることの重要性、これが優先であることも付け加えておきます。
通常は、残してゆく人のためにと解説すべきところかもしれませんが、先ずは書く人本人のためでなくてはなりません。自分のためであり、それがやがては誰かの力になるものであるべきなのが、終活であり、エンディングノートでなければなりません。
そうでなければ、今この超高齢化社会に誕生した終活という考え方が無駄になってしまします。
一つここで共有しておきたいことがあります。家族を語る前に誰もが個であることです。この個が、とても厄介で、人にやさしくなれなくなってしまったり、心をふさぎ込んでしまうこともあります。
また。自ら望んで孤独になろうとする人もいれば、生きてゆくうちに孤独に至る方もいます。二年ほど前の春に、横浜の高齢化団地でセミナーをしたことがあります。
その半部の方が既に独居でした。その時依頼をいただいた終活セミナーでは、いろいろ考えた挙句に、過去にあったことを振り返ること、そして、今ある自分の、お隣の人に気が付くこと、そこからお話をしました。

50
年を目安にして、そのころの歌、お笑い、人気のドラマ、よく見たCMなど、私の得意の映像を用いて、その場に集まられた高齢期の皆様が、隣の方との共感を得られるような、そんな元気な頃、思い出の昔を共有する時間にさせていただいたのです。

おいしい時に、おいしいねと言えたり、あったかい時に、あったかいねと言える人がいることの幸せ、カラオケの友達、社協の担当者、係りつけ医院のケースワーカーなど、そこに気が付くことで少し力になれるかなと、そんな試みでした。

家族や沢山の友人に囲まれていたとしても、人間は最終的に個だとおもうのです。
その個でいるときに、どれだけ心豊かにいられるかは、なんらかの関係を感じることが出来ることではないでしょうか、葬儀を通じてグリーフを考えたときに、近親者を失ったときの孤独感、心の痛みは、とてもつらく大きな衝撃であることを学びますが、エンディングノートにはそれさえも、ケアするためのツールになりえる可能性があります。

いつも周囲を感じていたら、そのことを書きましょう、そうやって自分の環境を感じることが出来る幸せ、そしてそれを書いてくれたことで幸せを感じる人がいること。
エンディングノートの可能性はますますひろがります。

なんて素敵なツールなんでしょうね。