終活時代到来

2012年に流行語大賞のトップ10にまで知れることになった言葉ですが、その言葉の誕生からわずか3年ほどしか経過をしていない時の流行語大賞です。それでは終活という考え方は、いったいどうして誕生したのでしょうか。この言葉の誕生が、人々に受け入れられる背景に、高齢化と人口減少があります。定年からの人生の長さ、元気な老後、しかしながらその人生再設計にかかわる経済的な不安、こうした時代背景と、自らをしっかりと主張するとも言われる世代、団塊の世代の高齢化が重なりました。それにより誰もが同じように幸せを夢見た時代から、誰もが自分なりの幸せを見つけるようになって来た時代が訪れ、それがより顕著に現れてきたのです。


少し前2000年頃が分岐点となります。

その頃までは、セカンドライフという言葉で、老後を如何に謳歌しようかという考えが一般的でしたし、シニア市場とばかりに贅沢品のターゲットは間違いなく高齢者でした。そういった需給バランスの中で、如何に楽しみに気を紛らわせて見ても、結局の不安は誰もが迎えるライフエンディングと、そしてそこまでの生き方を問うというような思考になって行ったのでしょう。定年後の人生を考える超高齢化社会の到来です。

2011年に厚生労働省が、ライフエンディングステージを提言し、ライフエンディング産業といわれるような関連業種の連携が始まりました。すべては超高齢化社会の問題解決のための社会変化といっていいでしょう。そういう時代に誕生し、インターネット時代の速さで一気に認知されたのが終活だといえます。

 

終活はライフソリューション

経済成長の低下、人口の減少、社会の高齢かと、じつはこの国のどの人も経験をしたことのない時代に突入してまいりまいりました。そうした時代の変化に生きる人に受け入れられた考え方ですので、現代の問題にたいする解決のヒントが、終活の中にたくさんあると考えています。

 


時代の流れはお葬式にも変化をもたらしました。

そろそろ2000年を迎えようというころ、都市型のお葬式では専門式場での葬儀が選択され始めていました。それまでの自宅でのお葬式や、寺や集会場といったお葬式に対する準備に人手や生活スタイルがなかなか順応できなかったのでしょう。葬儀社の営業戦略でもある専用式場は瞬く間に「普通」という言葉に置き換えられました。

そんな時代に欧米スタイルの葬儀社が渡来しました。日本のお葬式は高すぎるとばかりにやってきた彼らの提案は、安いお葬式イコール埋葬式といった考え方です。その明瞭さに当然のごとくマスコミが取り上げて話題にはなるのですが、長くは続きません、なぜなら日本人独特のコミュニティが支える葬儀から、意識を変えてゆくのはなかなか容易なことではなかったのでしょう。人々は、葬儀にかかる価格を気にすることはしても、簡単にお葬式の簡略化という波には乗れなかったようでした。

時期をほぼ同じくして、ハウスセレモニーというブランドを立ち上げたのが、サンクチュアリという会社でした。その人らしいお葬式をという謡で、それまでの一般的なお葬式は誰もが画一的なもので、その人らしさが見えないということで始まったのですが、ここにまさに将来の高齢化や、自分らしいといった志向に着目したさきがけだったのですが、生活者が後の社会変化にはまだ気づいていなかったのでしょう。

ハウスセレモニーもまた、メディアには注目をされたのですが、数年で会社は業態を変えて儀式サービスの提供をしておりません。この時代に生き残ったのは従来の葬儀社と、インターネットを介した葬儀社紹介所になります。


生活者は高額な商品として葬儀を捕らえ、それに対して仲介者たる判断をしてくれる人を求めたのでしょう。ほぼ同時期に全国的に言われ始めたのが家族葬という葬儀の形でした。 家族葬を専門する葬儀社も現れ、言葉の温かいイメージとあいまって、家族葬は一気に市民権を得ます。ここまでの変化は実に数年の出来事として激しい変化をしました。


実を言うと、ここで歴史は繰り返えしていたのではないかという思いがして振り返ります。戦後間もなく、二つの動きがありました。 ひとつは新生活運動です。戦後の貧しい頃、誰もが苦しい中でのことです。冠婚葬祭もお互い様とばかりに考えられた生活の知恵といえるでしょう。婚礼は出来るだけ公共の施設を使いましょう。葬儀の成果は少なくして負担をしあうのは控えましょうといった様子です。葬儀はお金をかけなくても出来ると考えたのです。もう一つが、互助会の誕生です。そもそも互助会は、市民間での喪服の貸し借りを行ったようです。これを業としてはじめたのが冠婚葬祭互助会事業です。予め少ない積立金で貸衣装から、冠婚葬祭の全てをまかなえるようにということだったのでしょう。お金ばかりではなく対外の互助精神で葬儀をまかなっていた時代のお話です。しかしそのような自粛や節約といった思考も、ほんの数年で変化をしてしまいます。それが戦後の復興景気です。そこから時代名一気に高度成長期を迎えるのです。一度しかないおわかれの儀式、婚礼の儀式、できるだけのことをしてあげたい、できるだけのことが出来る甲斐性を持ちましょう。これが、やがては、一生懸命頑張ればみんな豊になれる、みんな目指すものはひとつとばかりに頑張った時代だったのです。葬儀は、その形が昔から伝承されているように思われがちですが、時代とともに早い変化をしている文化なのです。

 

お葬式は変化をする文化

家族葬は、お葬式の料金形態をわかりやすくした一方で、価格重視のあまりに、これまでのよくわからないと言われた葬儀の形を一変させます。会葬者数を限定したお葬式に提案が変化してきたのです。ここで、葬儀社の価格競争が激化するのですが、同時に葬儀社それぞれが葬儀をわかりやすくしてゆこうとして、セミナーや説明会を実施する会社も見え始めました。 そのほとんどは自社商品の優位性を謡うようなセミナーが主流でした。

やがて、会葬者限定のお葬式は、会葬者を遮断したお葬式に変化をし、通夜を行わないお葬式まで生み出しました。こうした葬儀の変化は生活者の考えというよりも、葬儀社の顧客獲得競争といった処に起因するところが多いようです。一様に類似した小さな葬儀が、小型化の当たり前の形のように普及されたのです。

このころから、単なる葬儀紹介所はその勢いを失います。なぜなら、それまで葬儀社がわかりにくいという存在だった故の存在価値が、葬儀社のお客様思考へ向けた変化により、生活者は葬儀社に見積もりも求めやすくなってきた。それこそ紹介所は不要だという判断になってきたのです。インターネットでの流通価格など、市場の価格原理を学んだ生活者は、それこそ紹介会社を入れるよりも、直接聞いてみよう、直接聞けるということを知り、やがて社会は自分らしいというお葬式の模索をする相手を、葬儀社に求めていることに気がつきます。

それまで葬儀社紹介所としていたところは、葬儀企画会社に変わりました。インタネットの会社が小型葬儀企画を作り、集客をしては地域の小さなお葬式やさんに紹介をします。イオンのような大手流通がサービスは、その品質基準を明確に設けて、それをひとつの魅力として葬儀業界に参入しました。それは新しいことでもなく、じつはそれまでも生協系や企業福利厚生系での葬儀サービスが存在しておりましたが、ここまで大規模で顧客サービスに葬儀をラインナップしたのは初めてでした。

ではその実態はと言えば、従来の葬儀社と提携しながら、管理下とはいえ、その葬儀社にサービスに任せる形であることで成り立っております。サービス品質といった点においては、飽くまでも管理者であり、自らが葬儀施行部門を持つといったことには、おそらく今後も考えてはいないでしょう。

現在は、高齢化社会を見据えた新規参入の葬儀社や、新業態としての葬儀企画会社、さらに従来の葬儀専門者や、受託葬儀社などを考えると葬儀社乱立の時代です。そうした背景と共に、時代の変化は、葬儀価格に変化をもたらしました。

その上で、自分らしさをも求める時代になりました。考える力、まさに要望を聞き取る力、提案の力こそが、今の葬儀社に求められています。葬儀は、紹介行でもなく、販売業でもない、儀式サービス業であるといえるでしょう。よりお客様のご要望をかなえるための手段として、葬儀社は事前相談を打ち出します。それは葬儀社の顧客獲得戦略なのですが、全国葬祭業協同組合連合会では、2012年に認定の事前相談員を制定しました。

20年に満たない期間での大きな変化です。


この20年の変化の中で、注目をすべき点はグリーフが、顕在化してきたということでしょうグリーフとは、近親者死別による心の痛みを言います。このグリーフに悩む方が表面化しているのが、家族葬の誕生とちょうどリンクしてまいります。経済成長期に見られる日本型のお葬式といわれているような葬儀には、グリーフワークといった、悲嘆から回復するためのプロセスが内包されていたのです。

 

グリーフワークを内包していた葬儀とは、

人が亡くなると、その知らせは勝手に走ります。一人からの情報は知り合い同士で伝播し、個人に関係していた人のみなが訃報を知る事になります。電話が通信網だった頃はこれが最も早くそして、管理などできないほどの広さで広がってゆきました。


その頃のお葬式は、大体の人数想定をしていても、たいていは遺族の想定を超えてお客様が弔問や会葬にこられます。「見積もりよりもだいぶ高くなった。」「葬儀屋はあいまいだ」そう言われる所以がここにあります。通夜の振る舞い料理や、返礼品などを考えるとその予算は来場者により大きく変わってしまうのです。追加金額として。ところが、人の多いお葬式は悪いことばかりではありませんでした。

 

たとえば、個人の友人や知人、恩師といったような人たちはお悔やみの言葉と同時に、家族の知らない故人の姿を教えてくれました。社会での活躍やこだわりこうしたものに触れる機会であったのも事実です。そしてそのことを頭に思い浮かべながら、強制的に行われる文化として、寝ずの番があります。

 

遺族として、大切な家族を失ったときの悲しさや孤独感は非常に大きなものです。その最もつらいであろう夜を、振る舞いの席や、その後の晩などを親戚や地域、友人や目上の方、長老などと過ごしてゆきます。眠い目をこすりながら、心の痛みや寂しさに負けそうな時に、故人の話を聞かされたり、励まされたり、登園の存在を知ったり、自分自身の友人と再認識したりしながら、孤独から解放される夜が与えられたのです。

 

そして葬儀の後でも、こうした関係の方々に向けた香典返しを考えたり、仏壇やお墓の手配をして、誰にも恥ずかしくない法要の準備をしてまいります。こうやって自分自身の責務を持って、自分自身を奮い立たせる機会となって言ったのだと思います。

グリーフワークの欠けたお葬式

そういった意味では、これまでの葬儀では、「普通ってどうなの?」と言われることが多くありました。これもちょうど2000年頃までという実感があります。普通である安心、その形も、進行も、かける金額も、誰もがしていることだ、と言うことで得られる安心があったのでしょう。普通の暮らしのおいても経済成長期とはそういった時代でした。

 

現代では、小さな家族葬を決断して、親戚の求めたアドバイスもそこそこに、自分たちで決めなさいといった言葉が返されます。これもある意味ではアドバイスを求められた親戚の気遣いなのですが、ここから全てが自己責任で決めてゆくことと、腹をくくるときが来たのです。そうやって選択した家族葬で交流の乏しいお葬式をして、身内ばかりでの法要までを考えてゆきます。そうやって何かが欠けてしまったように、グリーフは、なんとなく痛みのいえない状態が続くといったように、遺族の悲嘆回復の時間を遅らせてしまっているようです。

 

グリーフワークの欠けたお葬式を、埋めるもの

ひとつは、葬儀の事前相談です。ここも葬儀社の戦略とぴったりとあってしまうのですが、これも時代の求めに応じて誕生したのかもしれません。自分のお葬式を自分自身で決めて逝くこと。その後も含めてできるだけ詳細にして、そして自分の生前が見えるような仕掛けも考えておきましょう。サプライズでなくてもいいのです。自分自身の形見分け、自分らしい写真を選ぶこと、自分を思い出してくれそうな音楽を選んでおくこと、そしてお金のことも考えてあげるといいでしょう。

慎重になる必要はありません、元気なときに考え始めれば、それを楽しむ余裕も生まれてくるはずです。現代、医師は明確に余命告知をします。その苦しさを考えれば、できるだけ元気なときに考え始めるべきなのです。

 

そうやって決まっていたことを、故人の意志として守ってゆけることで遺族の心は安らぐのです。自分たちの事を心配して考えてくれていたいという安心や、故人が望んでいたことを形にできたという使命感の達成など。こうしたことを考えると少しでも詳しく、少しでもやさしくと決めておくことができるでしょう。決めるのは自分のこと、事前に家族が考えることではなく、できれば健康なうちに決めておく自分のことなのです。

もうひとつが、記録です。写真や作品、形見分けということも前述しましたが、こうしたものに添えてかかれたものが大きく効果を表します。一方的な気持ちを書くのではなく、話をしながら書いてゆくこと、そしてそれを残すこと、それがエンディングノートなのです。社会背景の中でいろいろなことが変わりました。そして同時に誕生した言葉や、考え方、アイテムが存在します。これは何も切り離すことではありません。当然同じ時代にできたものですから、なんらかの関係があってお互いを保管できる関係であるのに違いありません。


葬儀会社に従事する私が、なぜ終活を語るのか、なぜエンディングノートを語るのかは、年間に何人もの単身生活者の方とご自身のご葬儀の話をします。こうした事前相談も積極的に行いながら、その方と一緒に涙をすることがあります。時代はもうお葬式だけではつくろえない傷をわたしたちにあたえるのかもしれません。それでも生きてゆくために、何度も立ち直るために必要なものがあるのだと信じております。

 

当ページは少々急いで書いた経緯がありますので、再編集を予定しております。 2015.0720